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入出国カードの必須性はいかほどか

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年12月17日(土)19時26分55秒
返信・引用
  マレーシア旅の掲示板に先月次のような書き込みをしました(2011年11月下旬):

隣国から空路 LCCターミナルに戻った時のことです。入国検査場の所定場所に常備してあるはずの入出国カードが1枚もなかった。

イントラアジアは手持ちの入出国カードがあったので、事前に記入してそれを審査ブースで提出した。パスポートに入国スタンプが捺された後、係官に " bagi saya satu borang baru 新しいカードを1枚くれ" と頼むと "habis ないよ" というあっけない返事が返って来た。 「入出国カードの在庫がないのでカードは提出しなくてもよい」と彼は言い放った。

イントラアジアは冗談かと思って、”Betul kah? ほんと?”と思わず聞き返しました。 彼は笑ってたが、どうやら本当かもしれない。
以上書き込みから

その後日またLCCターミナルを利用したときに、検査場のフロアで制服襟章の形から幾分職位が上だと思われる係官を見かけたので、入出国カードの件を尋ねました(会話はマレーシア語です)
入出国カードが常備してなかったこと、マレー鉄道でシンガポールから入国するとき入出国カードを記入しないこと、などを挙げて、入出国カードの必須性を確かめたのです。

彼は説明する、「この間はLCCターミナル検査場に入出国カードの在庫がなかったが、今はある。カードの在庫がない時は、カードをパスポートに添付しなくてもよい」

ということは、入出国カードはそれほど重要ではないということですか、とイントラアジアが尋ねると、「パスポートに入国スタンプが押してある限り、またImigresen のコンピューターシステムにその人の入国が入力されているから、入出国カードを出国審査時に提出しなくても問題はない。」との返事でした。

「国内のどこの国境検査場でも本当に問題ありませんか? 例えばペルリス州の小さな国境検査場のような所でも。」

「国境検査場には Imigresen のシステムが敷かれている。パスポートに入国スタンプが押してある限り問題はない。」 と係官。

入出国カードは大して重要ではないと、彼は決して言いませんでしたが、説明内容は実質的にそうなると、イントラアジアは判断しました。Imigresenの入出国検査部門の職員として、確かに入出国カードの必須さを否定する言葉は言えないでしょう、でもある状況下では入出国カードがなくてもかまわないということは、明らかに入出国カードの必須性を否定していますよね。

こうしたことから判断して、現在のマレーシアImigresen での入出国カードの運用は、検査を受ける立場から言えば、いかにも中途半端に映ります。イントラアジアはマレーシア政府が近い将来入出国カードを廃止するとは思いませんし、そんなことはまず起こらないでしょう。入出国検査を受ける外国人として、明記・明言されない事情があるのだろう、程度に了解しておくしかなさそうです。
 

シンガポール映画

 投稿者:台湾在住者メール  投稿日:2011年11月 6日(日)02時45分23秒
返信・引用
  台湾に住んでいます。最近やっとテレビで中国語の映画(いわゆる華人映画)を見るようになり、シンガポール映画を見る機会を得ました。見たのは、幸福萬?、小孩不是笨(うろ覚え)、錢不?用2などなどですが、とても面白くかったです。それで、ネットで調べて、こちらの記事を拝見しました。シンガポールに一度だけ行きましたが、簡体字と北京語というイメージから離れることがなく、(私が北京語しかできないせいもありますが)映画の中で、福建語や広東語が混ざっていたり、挿入歌などが福建語(台湾語の歌?)なので、少しびっくりしました。台湾の映画を見ているようでした。まあ、でも同じ移民社会だから、元々福建、広東系なんですよね~私は台湾語のドラマなどもよく見る方なので、すんなり映画に入ってしまい、シンガポール華人にとっても親しみを感じました。いきいきと描かれていたなあ。といっても、シンガポール人の友達はいませんが…。これから、シンガポールにもっと目を向けていきたいです!Intraasiaさんの論評にも納得でした。ありがとうございました。  

いつも情報ありがとうございます

 投稿者:ななし  投稿日:2011年10月17日(月)11時46分56秒
返信・引用
  以前別の場所でコメントさせていただいたものです。
今日やっとここにもたどり着けました^^
私は英語やパソコンが苦手で、海外に行ったことも一回ポッキリ。
そんなMM2h希望の私にイントラアジアさんの視点からの生き生きとした情報は本当に有難いものばかりです。
それでまたお礼が言いたくなりメールしてます。
これからも楽しみnしています。お体に気を付けて、これからも頑張ってください。




 

日本の新聞記事、シンガポール特派員発『廃線マレー鉄道・・・』にがっかりした

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年10月 9日(日)19時20分45秒
返信・引用
  マレー鉄道のシンガポール区間は今年6月末で実質的に廃止され、始発兼終着駅はマレーシアとの国境至近距離にあるウッドランズ駅に移転した。当ホームページでもすでに話題にしましたし、『マレー鉄道の案内と旅』ページでももちろん載せています。

たまたま、日本の新聞社のシンガポール特派員が書いた「廃線マレー鉄道 広がる保存の輪」という新聞記事を目にした。記事の内容に異議があるのではなく、その背景説明に大事な視点を欠いた記事なので、イントラアジアとしては見逃せないのだ。

2010年に行われたマレーシアとシンガポール両首脳会談の合意に基いて、80年以上も存続していたシンガポール区間をほぼ廃線にし、始発兼終着駅をウッドランズに移した。結果として長年始発・終着駅であったタンジュンパガール駅も廃駅となった。シンガポール領土内においてマレーシア側が所有し、使用してきたマレー鉄道の線路と駅舎の件は、マレーシアとシンガポール間に長年ある懸案事項の1つでした。従って、2010年の両国首脳会談では他の懸案事項とセットにして、この懸案事項の1つに合意がなされた。

長年シンガポール側はマレー鉄道シンガポール区間とその線路に建つ複数の駅舎を廃止させて、シンガポールに取り戻したいと公然非公然に表明していた。シンガポールは都市交通のMRT電車の路線網を拡張していき、確か1990年代初期にマレー鉄道タンジュンパガール駅の比較的近い場所に路線を建設した。しかしマレー鉄道タンジュンパガール駅の近くにはあえてMRT駅を造らなかった。

MRT Tanjong Pagar駅の位置を知っているイントラアジアでも鉄道タンジュンパガール駅から徒歩でゆうに15分はかかった。ほとんどのマレー鉄道タンジュンパガール駅利用者はMRT Tanjong Pagar 駅から歩くようなことはしなかったし、慣れない旅行者のほとんどはその位置さえ知らなかった。

強調しておきます:シンガポール当局はマレー鉄道利用者の利便も考慮してMRT線路をマレー鉄道駅により近づけMRT駅を造るようなことは、あえてしなかったのです。

もう一つ好例を示しておきましょう。
シンガポールは独自にシンガポール島北部、つまりジョーホールバルに近い Woodlands地区にマレー鉄道用の駅を設け、1998年8月にその出入国検査所を移設しました。これがマレーシアとシンガポール両国間にあつれきを新たに生み、両国はそれぞれ独自の方法で出入国検査を始めました。

その後シンガポールはウッドランズ地区にもMRT路線を拡張させましたが、そのMRT Woodlands駅はマレー鉄道駅の近くにはありません。
www.streetdirectory.com/asia_travel/travel/travel_main.php?zonename=Woodlands
で地図を開き、その離れ具合をご覧ください。

つまりシンガポール側は、拡張させたMRT路線をマレー鉄道線路から離すというあり方を再度繰り返したわけです。

マレー鉄道のマレーシア - シンガポール区間の利用者は決して多くはなかった。マレー鉄道発表統計を見ると、2000年代前半にシンガポールへ向かう乗客、シンガポールから乗車した乗客の総計が年間60数万人程度でした。この数字にはジョーホールバル駅とシンガポール駅間だけを乗る通勤客も含まれているので、長距離旅客はもっと少ない。

固定客を除いてマレー鉄道に人気がなかったのは、両国間における道路交通面の整備による手軽さと便利さが向上し、両国間を運行する航空便の多さがまずあげられるでしょう。そして忘れていけないのは、上記で説明したこのマレー鉄道シンガポール駅へのアクセスの悪さです。

日本の旅行マスコミは無邪気に”ロマンあるマレー鉄道像”を喧伝しており、それによって多くの日本人旅行者が植え付けられたマレー鉄道像を期待している。その典型的な実例をイントラアジアは、「マレーシア旅の掲示板」の2011年7月8日書き込み『マレーシアとシンガポールの関係』で書きました。

たまたま目にした「廃線マレー鉄道 広がる保存の輪」という新聞記事には、『マレーシアとシンガポールの関係』で説明した事実と観点、このゲストブックで説明しているような背景知識と観点がすっぽり抜け落ちています。この記事を読む日本人読者には、一部のシンガポール人が感じているそうな”マレー鉄道シンガポール区間へのノスタルジア”程度としか伝わらないでしょう。

この記事を書いた日経新聞シンガポール特派員さんは、シンガポール視点ではなくもっと外国特派員らしい視点と知識を持って欲しいものですな。
 

AKB48のインドネシア版JKT48 のニュースをネットで知ったので、これだけは言っておこう

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 9月12日(月)15時19分44秒
返信・引用
  イントラアジアは子どものときからアイドルとかスターにはほとんど興味をもたない人間です。といって流行歌や映画が嫌いということではありません。流行歌をラジオで聞くのは好きだし、映画においては今に至るまで熱心なファンです。マレーシアでシネマに通って観た映画本数は20年間で恐らく1,000本近いでしょう(VCDやテレビでは一切見ません)。ホームページなどで映画を時々話題にしてきましたね。要するにイントラアジアは、スター、歌手、俳優に対しては彼ら彼女ら自身への興味はほとんど沸かない、感じないということです。

さて去年日本に来て滞在したとき、なにやらAKB48 とかいうグループが大人気であることをマスコミで知りました。単にそういう知識を得ただけであり、AKB48の実際の映像は今に至るまで見たことはありませんし、見たいとも思いません。

昨日たまたまネットで、インドネシアに日本のAKB48 を真似た JKT48 というアイドルグループを立ち上げるプロジェクトが始まったという記事が目に留まりました。
そこで早速 JKT48 で検索したら、www.jkt48.comというインドネシア語のサイトがすぐ見つかりました。
イントラアジアはJKT48自体に興味は沸きませんが、なぜインドネシアがその地に選ばれ、そしてインドネシアで日本流のアイドル生み出し法が成功するのかなという興味心がちょっと起きました。

www.jkt48.com の冒頭にある紹介文の1節
Kami ingin menciptakan tempat bagi para perempuan Indonesia untuk mewujudkan impian mereka. Bersama para penggemar, kami ingin membuat satu-satunya “Idola orisinal Indonesia”. Inilah inspirasi utama kami meluncurkan JKT48.

イントラアジア訳:
私たちはインドネシア女性の夢を実現させるために彼女たちに場を作ってあげたいと思います。ファンと共に、私たちは唯一の”インドネシア独自(自身の)のアイドルを生み出したい。これが私たちがJKT48を立ち上げる一番のすばらしい思いつきです


この一文はインドネシア語なので、マレーシア語を見慣れている者には多少違和感のある単語や表現が混じっています。マレーシア語とインドネシア語には単語の違いがかなりあります。数ある中の一例: 日本という単語はマレーシア語で Jepun インドネシア語で Jepang

上記の一文から例をあげます:orisinal という語はマレーシア語では恐らく tersendiri と書くところではないかな。satu-satunya もなんとなくインドネシア語的に感じます。Inilah inspirasi utama kami meluncurkan JKT48. の文では、 kami の前に関係代名詞の yang を付けるべきだと思う。

しかしながらイントラアジアのマレーシア語知識だけでこの種のことを断言することは無理・無謀なので、断定ではなくあくまでも私見です。

マレーシア語とインドネシア語の違いがあっても、文章の意味は取れます。教養あるマレーシア人またはインドネシア人であれば、互いの書記文(文語ではなく文字で書かれた文章という意味)は相当程度まで理解しあえます。口語になると単語の違いだけでなくアクセントの違いや方言が多く混じることから、話される口語によって互いの理解度にかなりの違いが出てくる。


ところで www.jkt48.com/のページを少し読んだので、AKB48 の意味がわかりました。秋葉原の略なんだ。そして4つのチームがあり、その内3チームは16名の構成と書いてある。なるほど、だから48なのかな。

ということから JKT はJakarta のことですね。48には AKB48と同じ意味が込められていることでしょう。

イントラアジアにとってJKT48の内幕とか内容はどうでもいいです。あくまでもインドネシアという土壌でこの種のショービジネスの可能性を求めたベンチャー意識に興味があります。

イントラアジアは主に「今週のマレーシア」において」、1990年代後半から2000年初期にかけてマレーシアでJPOPSがかなりの人気を博していたことを何回か話題に書きました。当時若者向け雑誌や新聞の娯楽ページではひんぱんにJPOPS歌手や日本人俳優の話題が載りました。イントラアジアは当時書いた文章の中で、日本人スターつまり人気歌手や俳優はマレーシアなど東南アジアにもっと目を向けるべきだというようなことも主張しました。

しかしマレーシアには誰一人としてやって来なかった。個人的な旅行で訪れた者はいたでしょうが、ショービジネスとしてマレーシアを訪れた名の知れたスターは皆無であった。しょせん彼らとその所属プロダクションやテレビ局にとってマレーシアのような東南アジアは意欲のわかない地なんでしょう。その証拠にたまに日本へ行って聞いたラジオなどでDJやスターや評論家の発言中に出てくる言葉は、「ハワイが、グアムが、ニューヨークが、ロスが」といったものばかりでしたね。2011年の現在でも状況はほとんど変わってないようですな。

その10年後どうなったか。マレーシアにおけるJPOPS はとっくに人気退潮しています。JPOPS紹介の定期ラジオ番組も消えてしまった。この数年マレーシアへ韓流の歌手やグループ、さらに俳優が頻繁にやって来ています。マスコミに載る韓流の記事はごく普通に見かける。彼ら彼女らが來マレーシアして開くショッピングセンターでの顔見世では、多くのファンが集まる。方や時々公開される日本映画でしか話題にならない日流のスターたち。タイやシンガポールでも韓流は日流を凌駕しているようだ。

マレーシアの新聞は、日本の芸能界は外に興味を示さないが、韓国の芸能界は東南アジアであろうと積極的に売り込んでいる、という違いを指摘しています。まさにその通りであり、10年後の違いが現在歴然と現れています。イントラアジアは日本芸能界のベンチャー意識の欠如と東南アジア軽視(無視に近い)意識を強く感じます、まあそれは日本社会の反映でもありますが。

というような背景から、JKT48 の記事に興味が起きたのです。今後そのプロジェクトがインドネシアで成功するだろう、失敗するだろう、ということはさておいて、インドネシアという地を選んだことだけは評価したいですね。他にこのショービジネスが可能性ある東南アジア国はタイかな。まあマレーシアでは ”48ショービジネス”の展開は無理でしょうな。仮にマレー人を抜きにしたら、マレーシアにおける芸能マーケットは現在のマレーシア華人歌手界と同じになってしまう。

インドネシアの有名歌手にInul という女性がいます。彼女はそのセクシーな歌謡スタイルでマレーシアでも知られていますが、彼女がそのスタイルを取る限りマレーシアでコンサートを開くことが許されません。マレー芸能界への見えない掟はインドネシアのそれよりも厳しいことは事実です。

とはいえ、普通のJPOPS歌手や日本映画・ドラマ俳優にとりたてて制限がかかるわけではなかったし、現在でもそれは同じです。時期を逸した日流はもう韓流を越えるのは無理であり、同時に日本芸能界にとって”東南アジアは視野に入れる価値のない地域”のようですから、それはなんら悔いのないできごとなんでしょう。
 

ANAとの合弁格安航空エアアジア・ジャパンの設立発表ニュースに思う

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 7月24日(日)14時46分8秒
返信・引用
  全日空ANAとエアアジアAirAsiaが日本基盤とした格安航空会社を合弁で設立し、資本金50億円の出資比率はANA 2 対 AirAssia 1の割合で、拠点空港を成田とする、というニュースを、日本のマスコミは単に業界ニュースとしてでなく目立つ形の経済ニュースとして取り上げたようですね。

エアアジアを2002年の発足以来追っているイントラアジア (Intraasia)としても、まずはうれしいそして驚いたニュースだといえます。そこでマレーシアと多少関係あることもあり、エアアジア関連トピックスとして少し論じておきましょう。

合弁格安航空会社エアアジア・ジャパンは日本基盤ですし、ANAの出資比率がAirAsiaのそれの倍もあるという点から、同じAirAsiaの合弁航空会社であるタイエアアジアとインドネシアエアアジアとは結構違った特性を持つ格安航空になるのではないだろうか、とイントラアジアはこのニュースを知ったとき、まずこう思いました。

タイエアアジアとインドネシアエアアジアは限りなく本体のエアアジアに近いありかたと特性を持っています。それは同じ東南アジア基盤ということから、3国間に国民性と地域特性の面でそれほど大きな違いはないからです(ないということではなく、日本とマレーシアの間にある違いに比べれば、ずっと小さいということです)。

イントラアジアは、エアアジアブログを開始した頃の記事『エアアジア(AirAsia)の簡素且つあっさりサービスは低コスト航空会社だからこそ意味がある』の中で次のように説明しておきました(2010年):
「エアアジア(AirAsia)のビジネススタイルと経営方針は、マレーシア人にとっても非常に斬新なものでした。それはマレーシア人の捉える一般的な航空会社常識から外れるものだったからです。それまでの航空会社の常識である機内サービスを全て有料化し、地上サービスを限界までに簡素化しました。

マレーシア社会は日本社会と違って、過剰ともいえる表面的礼儀正しさとくどいまでの言葉上の丁寧さを求めません。新航空会社の簡素なサービス、ごくありきたりの対応スタイル、それがそれまでのマレーシア人の捉える航空会社常識からはずれていても、受け入れるだけの下地がマレーシア社会にあるのです。

このことは非常に重要な点であり、エアアジア(AirAsia)がマレーシアでビジネスを開始したことが最大の貢献になったのです。なぜならマレーシアでビジネスに成功しなかったら、同社のその後の近隣国への進出はありえなかったし、ましてや長距離格安便である AirAsia X の創立もなしえなかったからです。仮に乗客の対象が日本人であれば、いくら運賃を安く設定してもあれほど簡素なサービス、ごくありきたりの対応スタイルは、恐らくまず受け入れなかったことでしょう。」以上


タイ社会もインドネシア社会も基本的にエアアジアのビジネススタイルをそのまま受け入れたことは、その後の各合弁会社の成功とマレーシア-タイ間及びマレーシア-インドネシアア間を運行するフライトの多路線多便さが示しています。

さて過剰ともいえる表面的礼儀正しさと極めて細かなことにこだわる日本社会で(注)、エアアジア本来のビジネススタイルがそのまま受け入れられることはまず無理でしょう。その前に格安航空会社は低コスト航空会社であることが絶対前提だという意味が、日本ではまだまだ理解されていないと感じます。ですから、一般使用言葉では、依然として”格安航空”であり、今回のマスコミニュースに対する反応を見ても、単にある都市からある都市までの運賃がいくらになるというコメント主体が多そうですね。

注:東南アジアに初めて足を踏み入れてから30年、内20年はマレーシア基盤であるイントラアジアは、日本に来るといつもこのことを、良い悪いではなく違いとして感じます。

低価格にするためには低コストでならねばならない、そのためには利用する乗客も低コスト化を受け入れなければならないし、同時にいろんな点で妥協する必要がある、という当たり前の論理が”実感”として捉えられていないことに気がつきます。しかしながら、日本人乗客に、東南アジア乗客のあり方を受け入れるべきだというのも非現実的です。日本社会には日本社会の価値観と許容範囲があるからです。


エアアジア・ジャパンは日本国内運行と日本基点での東アジア方面運行のようですから、エアアジア (AirAsia)、エアアジア Xの路線範囲と直接はかち合わないようです(間接的にはあるでしょうが)。

さらにANAの出資分が2倍ということから、エアアジア・ジャパンは同じ合弁航空でもタイエアアジアとインドネシアエアアジアとはかなり違った特性を持つであろうことが予測されます。あくまでも”日本的なエアアジア”というあり方になることでしょうし、一時的な成功ではなく長く存続していくためにはそういう方向性しかとりえないであろうと思われます。

まあイントラアジア (Intraasia)としては、エアアジア・ジャパンはエアアジア・ジャパンなりに成功していくことを願っておきます。
 

マレーシアの人口統計の最新データ抜粋

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 7月23日(土)18時08分54秒
返信・引用
  「巻頭のことば」をこのゲストブックに保存しておきます。

2010年5月に全国で実施された全国人口と住居調査の速報を統計庁が発表しています。これはマレーシアの現状を知るうえで大変重要な数字であり、マレーシアに長年関わっているイントラアジアにとって大変興味ある数字です。
総人口: 2756万人  その内男性 1411万人、女性 1345万人、 参考:2000年の総人口は2327万人
2010年から2010年までの年平均人口成長率  2.17%、 参考:1991年から2000年までの年平均人口成長率  2.60%
世帯数: 640万、 住居数:738万、 1世帯あたりの平均人員数:4.31人、 世帯あたりの平均人員数が多いトップ3州: サバ州 5.88人、クランタン州 4.86人、トレンガヌ州 4.78人
州別人口: 最多はスランゴール州 541万人で全国の19.6%を占める。クアラルンプールは163万人で 5.9%

日本の世帯平均人員数は2010年で 2.46人だそうですので、マレーシアの 4.31人はやはり多いと言えます。それにしてもサバ州の世帯人員数はかなり多いですね。半島部では東海岸2州が上位2州だというのは、マレーシア知識を持っている者であれば納得いくところです。両国間にある家族意識の捉え方の違いが世帯人員数の差を生んでいる要因の一つです。スランゴール州とクアラルンプールの人口つまり首都圏の人口は約700万人、総人口の4分の1を占めるという人口集中の状況が確認できます。

 ところでマレーシアは男性の方が女性より人口が多いですね。なぜかを考えてみるのは面白そうです。そうそう、最も少なく見積もっても100万人はいるであろう違法・非法外国人労働者の数はこの統計には現れていないことも知っておきましょう。
 

命名法において父親の名前を加える方式のお話

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 6月26日(日)13時26分6秒
返信・引用
  マレーシア人の命名法つまり名前のつけ方については、当ホームページの「今週のマレーシア」で載せています。1998年と2004年に書いた数編のコラムにおいて、総字数数万字に及ぶ詳細なものです。

命名法は世界の民族と国の間で違いがあり、いくつかの種類があることはなんとなく知られているでしょうが、具体的にはほとんどご存知ない人たちが多いことだと推測されます。

マレーシアに限れば、最大民族であるマレー人の命名法は 名+父親の名前(父称) というやり方です。

例:Hazlinda Mohamad Hashin という娘は名が Hazlinda で父親の名前がMohamad Hashinです。又 Shariff Yusofという父親はその息子に Zabidiと名を付けると、息子はZabidi Shariffという名前になります。
また身分証明証のような公的書類上では、名+父親の名前の+の所に、アラビア語起源単語である、息子なら bin、 娘なら binti を加える必要があります。つまりMahathir bin Ibrahim`なら Ibrahimの息子Mahathirという意味を明確にしているのです。これは中には男にも女にも使える名前があるのもその理由だそうです。

1998年当時イントラアジアは、100%ムスリムであるマレー人のこの氏名法を解説する際、「イスラム教世界で多数派 (だと思うのですがちょっと自信ありません)の氏名法を取り入れています」と書きました。

今でもこれは間違いないと思っています。ただ多数派だけどどの程度の割合なのかは根拠になる統計を目にしていないので、依然として知りません。

自分の名+父親の名前(父称)またはその逆である 父親の名前(父称)+自分の名 という命名法・氏名法は、何もムスリム世界だけに限りません。マレーシアインド人の間でも 子供の名+父親の名 方式が多数派を占めます。ですからこの父称を付ける氏名法はムスリム界だけのものではないことが、このことだけでもわかります。


父親の名前(父称) を付けるのはイスラム世界に限りません。コラムを書いた当時、どの民族またはどの国が”父称を付ける氏名法”を用いているか、具体的にすぐ頭に浮かびませんでしたので、当時のコラムではそのあたりの例は省きました。

最近読んだ本の中に、モンゴル人とロシア人の命名法の話がその本の主題とはあまり関係ない形で載っていました。そこで多少の訂正追加をこめて、しっかりとした父称を使っている事例を引用の形でここに示しておきましょう。

モンゴル語学者 田中克彦氏の著書 「ノモンハン戦争  モンゴルと満洲国」 岩波新書 の一節です:
姓をもたないモンゴル人は、近代になってから、パスポートなどで、国際基準に従って公式に姓を示す必要が生じると、父親のを前につけて「・・・・・の子」誰々と名乗るようになった。たとえば朝青龍の名は、ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジである。
父親がいない場合は母親の名がそこにくる。
中略
ロシア語では、人の名には姓のみならず、必ず「父称」というものが要求される。たとえば父がセルゲイであれば、セルゲーイエヴィッチという父称を用いる。ロシア領に入ったモンゴル族、たとえばブリヤート人は必ずこの父称を製造して用いなければならなかった。
以上

Intraasia注:ロシア語では単語が格変化するので、セルゲイがセルゲーイエヴィッチのように変化します。これは単語の意味の変化ではありません。
自分の名+父親の名前(父称)またはその逆である 父親の名前(父称)+自分の名 という並び方の違いは、世界の言語は 修飾語が先で被修飾語が後、 被修飾語が先で修飾語が後、という2種類に分かれるからです。

たしかスペイン人の世界でも父称がついたと記憶しているので、インターネットで調べたら、「スペイン人のお名前は 名前+父方の父姓+母方の父姓 で成り立っているのだ。」という記述を見つけました。

このように 名前に父称を加える命名法は珍しくはない(むしろ多い?)ことがわかります。しかし本来の父称の代わりに母称を加えるのは、父親がわからないなどの理由からの場合が多いようです。そしてそうなると、ある文化圏ではなんらかの差別観が潜み込む可能性を否定できないようです(イントラアジアも同感ですな)。

命名法は比較文化の面で面白い題材であり、且つある社会・民族における男女関係の歴史とあり方を考える上で、重要な要素でもありますね。例えば日本人女性が婚姻によって姓を変える慣習と法律のように(イントラアジアはずっと昔の1970年代から批判的立場を取っています)。
 

古文の勉強を当時もっと一生懸命にやっておけばよかったなあと思うとき

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 6月 3日(金)19時12分41秒
返信・引用
  春は曙。やうやう白くなりゆく、山際(やまぎわ)すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる(枕草子)

つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。(徒然草)

いきなり古文の有名な冒頭の一節を掲げましたけど、イントラアジアには古文のうんちくを語るというような大それた意図も能力もありません。

ここに掲げた有名な古文は、高校のとき古文の授業で習いましたよね。大学で国文学のような科目を取らない限り、高校を卒業してしまえばほとんどの人にはその種の古典を”勉強させられる機会”はまずないことでしょう。学生時代が終わっても、好きでとか興味に駆られて日本の古典を読みたい、そのために自学する人は当然いらっしゃいますが、それはかなり少数だと思われます。

イントラアジアは正直言って、当時古文の授業は好きではなく且つ苦手な科目でした。か・や・ぞ・なむという係り結び、上四段活用、下四段活用などといった細かな規則を暗記し、意味のわからない単語を古語辞典で調べることに、喜びはほとんど感じなかった記憶があります。

そんな苦労する古文解釈など勉強せずに、さっさと現代語訳で読んだほうがよっぽどいいと思ったかもしれません。役にも立たない古文文法と語彙など、仕方なくやらざるを得ない受験勉強の1つぐらいの認識だったことでしょう。

時は過ぎ、70年代のいつごろだろうか、短歌になんとなく興味が沸いて、新聞の短歌欄に目を通したり、万葉集などの現代語訳解説書を読んだことがあります。その後80年代ごろになんとなく古文が気になったことがあります。それは当時イントラアジアが日本の古典に目覚めたわけでも、文学に興味が沸いたわけでもありません、70年代の終わりごろから次第に沸いてきた言語及び言語学への興味、それに続く言語学を学ぶ中で、”言語としての日本語”への興味が大きくはないが引き起こされたからです。

具体的には、他言語と比べた時の日本語の特徴(対照言語学的アプローチといいます)、日本語の通時変化(時代を経ることによる変化)といったことに興味を覚えました。そのことで日本語学をきちんと勉強するというようなことには結びつきませんでしたが、イントラアジアの中では今に至るまで”言語としての日本語”への興味は消えていません。

日本語はイントラアジアにとって母語であり且つ母国語です。(母語と母国語は似て非なるもの、世界にはこの2つが異なる人は同じである人と同じくらいの人数になるでしょう。)日本語を言語の1つとして捉える視点はそのころから自身の中にでてきました。昨年の日本滞在中には、長年離れていた日本語書籍を読む機会が多々あり、その中には専門家が著者である日本語に関する書籍もありました。今年も数冊の日本語に関する書籍を読みました。

なおイントラアジアは日本語の乱れを憂うなどという気持ちはあまりありません。言語は変化するものである、という言語視感を抱くこともその理由のひとつです。

そんな専門家による日本語に関する書籍を読んでいると、古文と古文法に触れる記述がよく出てきます。これは、広義の日本語学の本ですからいわば当然のこととも言えるでしょう。そんなとき、当時「役にも立たない古文文法と語彙など」と思ったにも関わらず、高校時代にもっと古文の勉強を一生懸命にやっておけばよかったなあ、という勝手な思いが頭をよぎります。今さら古文を再度学んでみる気持ちはさらさらないけど、古典がそれほど苦労なく味わえたらいいなという、これまた勝手な思いもわきます。

願望だけでは何事も成就せず、やはりこれは人生の公理ですね。

【自評のひとこと】
徒然なるエッセイ風に書いてみたけど、どうも文体が硬いなあ。
 

日本人のマレーシア訪問者数

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 5月22日(日)18時33分46秒
返信・引用
  巻頭のことばをこのゲストブックで保存しておきます。

2010年にマレーシアを訪れた外国人旅行者の数は2460万人でした。対前年比 3.9%の伸びです。その数が1270万人であった2001年から 毎年増え続けており、10年間で約2倍になったことになります。なおこの場で使う統計は、マレーシア観光省の公式サイト Tourism Malaysia で公表されているものです。旅行者(ツーリスト)とは1泊以上1年未満滞在の訪問者で、レジャー、ビジネス打ち合わせ、会議参加などを目的とし、商売や労働を目的としない訪問者のこと。 以下は2010年の統計です。

実質的には陸続きといえそうなシンガポールからが最大の訪問者数で 1304万人、2位がインドネシアから250万人、3位がタイから 146万人。ここまでと 5位のブルネイはマレーシアの隣国ですから納得がいきます。4番目に多い国は中国で113万人でした。2年連続で100万人の大台を超えています。5位は僅差の112万人のブルネイ。Intraasia は例年この外国人訪問者数統計に関して、コメントやコラムを書いてきました。あらためて中国人の存在が旅行面でもますます大きくなっていることを指摘しておきます。もっともこれはマレーシアに限らず東南アジア全体における潮流ですね。

6位がインドで69万人、7位がオーストラリアで58万人、8位がフィリピンで48万人(サバ州だけへの入国が多いはず)、9位が英国で43万人、10位にようやく日本です、41万5千人(2009年は39万5千人)。 1990年代はマレーシア隣国を除けば常時トップトップまたは準トップの訪問者数であった日本はいくつもの国に抜かれてしまった。以前にも書きましたように、数で競うことはあまり意味がないけど、マレーシアを長年伝えるものとして一抹の残念さは感じます。 AirAsia が日本就航を開始し、羽田空港も使えるようになった。日本人旅行者のマレーシア訪問の増加を期待したいですな。
 

1315

 投稿者:mimpi  投稿日:2011年 4月29日(金)23時36分21秒
返信・引用
  TMの回線があればダイヤルアップでインターネット接続できます。
ID、パスワードなしの1315です。1分4sen。
メールチェック+αくらいならストレスはそれほどないかと。
ホテルからでもできるとは思いますが、ホテルの外線番号をつける必要がありますし、4senより高くなると思います。

www.tm.com.my/ap/personal/internet/narrowband/Pages/EZnet-1315.aspx

あ、今、シンガポールです。JBに行ってマレーシアの雰囲気に触れて来ようかと。
 

たわいない小さな食の喜び

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 4月29日(金)16時31分19秒
返信・引用
  マレーシアの物価上昇率は日本よりずっと高いので(とはいえ高率インフレ国でありませんが)、10年前に比べて飲食費はざっと1.5倍、時には2倍近くにもなっている感じです。高級レストランや高級食材・食品などの経年比較ではなく、スーパーや市場で買う一般的な大衆食品の値段、大衆食堂や屋台における1食にかかる値段を経年比較した時のことです。

イントラアジアがよく昼食か夕食にするのは経済飯(汁飯)です、つまりご飯の上におかずを好きに選ぶ方式の華人街ならどこにでもあるごく普通の食事です。マレー大衆食であれば、nasi campur と言います。イントラアジアは発砲スチロールの持ち帰り食にする場合がほとんどであり、今では少なくともRM 3.5からRM 4近くはかかりますね(繁華街やショッピングセンター内の店はもっと高い)。この値段はいわゆる三菜 といって野菜のおかずを3種ごはんに載せる場合であり、一肉二菜であれば、もうRM 5近くになりますね。10年前は三菜でRM 3ぐらいだったのになあ、とつくづく思います。

一般的な麺類の(どんぶり)1杯の値段は普通盛りでも今ではRM 4を超えます。RM 4という店はもう珍しいぐらいで、4リンギット半ばぐらいが多いみたい。10年前はRM3.5前後だったのになあ。

こういう値段を決して日本円に換算しないでくださいね。そうすると物価の実感がわからなくなります。RM 4という値段がこの国で(マレーシアで)どういう価値を持つかという捉え方が必要です。今月の「新聞の記事から」では国民の階層別月間所得表などの記事を載せましたので、それを参考にしてお考えください。

今回マレーシアに戻って、毎日朝食にリンゴを食べる生活に戻りました。2日に1個ぐらいはマンゴを間食かデザートに食べています。いずれも市場で買います。マレーシアでごく普通に売られている中国産のフジリンゴが5個でRM 6です。マンゴはkg当たり幾らの販売方式であり、RM 4から5/kg というところです。1kgも買えば十分です。なおマンゴはこれまたごくありふれたタイ産です。果物は当然ながら日本よりはるかに割安です。だからイントラアジアでも毎朝リンゴが食べられ、おやつにマンゴまで口にできる(笑)。東南アジア生活、さらにいえばマレーシア生活での小さな食の喜びですな。東南アジアの(旅行者でなく)一般市民として日常生活を長く続けていくには、こんなたわいない小さな食の喜びも大切といえます。

お知らせ
近々また日本へ行かざるをえません、まことに残念ながら・・・・・・・
 

マレー鉄道のインフラ面の向上と変わらぬ職員の意識と態度

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 4月22日(金)13時44分33秒
返信・引用
  マレーシアは発展する中進国として、この20数年各種インフラ面に積極的に投資して大小の開発を進めています。その顕著な例を交通インフラにとれば、KLIA(クアラルンプール国際空港)、空港鉄道、クアラルンプール内外の高架電車やモノレールでしょう。人口規模がクアラルンプールの5倍ほどもあるバンコクよりも電車運行密度はずっと高い。

交通インフラの中で伝統的な鉄道に目をうつすと、マレー鉄道は西海岸線で複線電化工事をこの10年ほど進めています。北部はイポーまで複線電化が完成し、現在イポー以北を工事中です。南部はスレンバンまでが90年代に完成しており、それ以南を現在工事中です。先日マレー鉄道南部線でジョーホールバルまで乗ったときに、スレンバンを過ぎてタンピンあたりまで、ずっと線路沿いに新線路建設が進行している様子が目に入りました。

先週ジョーホールバルをわざわざ日帰りしたのは(帰路はバス)、ジョーホールバル駅が2010年後期に新駅舎が完成したので、それを実際に見るためです。ホームページのジョーホール州項目に新たに載せましたように、新駅 JB Sentral は確かにモダンで機能的で快適な駅ビルです。旧駅舎とは比べものにならない立派さです。これは素直に誉めるに価します。

その好評価に汚点をつけるのは、いつもながらマレー鉄道の運営のあり方です。JB Sentral の切符販売窓口の一つが鉄道案内窓口になっています。その案内窓口の前に独立した掲示板が立っており、時刻表とお知らせが貼ってあります。この3月初めにマレー鉄道時刻表改正があり、新時刻表を1部その案内窓口でももらいました。ところがです、掲示板に貼ってあるのは、古い2010年改正の時刻表なのです。

イントラアジアはクアラルンプールで新時刻表を入手していたので、その掲示板を見てすぐおかしいことに気が付きました。現在では運行されてない列車、全く違う発着時刻が載っています。そこで案内窓口のマレー鉄道男性職員にその点を指摘しました。すると彼は驚いた表情をして、その時刻表はもう古いんだと私に言い返すではありませんか。手渡した新時刻表を参照してくれと言い加えました。しかし彼は何事もなかったかのように、そのまま窓口に座ったままで、掲示板の古い時刻表を張り替えるようなことは全くする様子がありません。万事がこうなのです。20年以上マレー鉄道の職員に対応した来たイントラアジアですので、彼ら彼女らの思考方法はよく推測できます。少しでも面倒なことはやらない、乗客の立場にとって何がより大切かがわからない。

尚ほとんどのマレー鉄道の切符販売窓口の常で、行き先別の運賃表も運行時間表も大書して掲げていることは全くありません。唯一小さな時刻表が窓口近辺に張ってある程度です。それさえない駅もあります。よって乗客は常に、どこまでいくらとか、何々の発着は何時かといった質問をせざるを得ないことになります。”見える化”ゼロです。

マレー鉄道の線路を走りマレー鉄道の設備と駅舎を利用し、マレー鉄道の予算で購入したはずだけど、なぜか運営体が違う ETS という電車が2010年後半から新規に運行が始まりました。ETS はマレー鉄道時刻表にも載っていません。
複線電化が終わったクアラルンプール -イポー間(一部だけスレンバンまで延長)を日に6往復しています。ホームページで昨年写真付きで既報したように、韓国製の新車両を使っており、高速電車という歌い文句です。

今回このETS 電車に初乗車してみようと思いました。イポーまで行くのは高いので(片道RM 30)、(クアラルンプール圏の周辺に位置する)スランゴール州のRawang駅 までコミューター電車で行き、そこからETS に乗ってクアラルンプールまで戻るつもりでした。 Rawang 駅はイポー発のETS 電車がクアラルンプール到着前に停車する最後の駅です。

Rawang駅に着いて、さっそく駅窓口でETS切符を買おうとしましたが、ETS の時刻表も運賃表もまったくみあたりません。ETSの張り紙1つ張ってありません、コミューター電車が発着する駅に通常ぶら下がっている、コミューター電車出発お知らせ電光掲示モニターは、ETS を全く表示しません。つまりRawang 駅に ETS が到着発車するにもかかわらず、その存在がほとんどわかりません。ETS が走っているのをプラットフォームで目にしても、その電車が何かさえわからない人の方が多いことでしょう。

切符窓口女性は典型的なマレー鉄道職員の思考と態度で、切符を売ってやるという横柄な態度です、(もちろんマレーシア語での)私の問いに短くぶっきらぼうに答えるのみです。イントラアジアはETSクアラルンプール行きの到着と出発時刻を知っていましたが、窓口で確認しようとしたわけです。窓口近辺に(駅構内も)何のETS情報もないので尋ねるしかないはずです、しかし窓口職員はいかにも面倒に対応するのです。 ETS切符窓口は KLSentralではマレー鉄道切符窓口とは別個に設置されていますが、Rawang のような途中駅ではマレー鉄道がETS切符も販売することがわかりました、だったら基本的情報ぐらい掲示しておくべきですね。

マレー鉄道はこの10数年線路インフラの向上と新駅建設にまい進して、21世紀の鉄道にふさわさしい部分を増やしてきました。この点は多いに評価するものです。しかしながらこの一文のはじめに書いたように、運営のあり方つまり職員の思考と態度は(例外はもちろんありますが一般論として)未だに1980年代のそれではと思わざるをえません。JB Sentral の例、Rawang駅の例、コミューター電車の相変わらず時刻非遵守運行など、失望点、不満点にごく普通にであうのです。この面での21世紀への道のりは遠いですな。
 

大震災から1ヶ月、マレーシアの地で思うこと

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 4月11日(月)15時51分1秒
返信・引用
  福島原発の原子炉危機状況はマレーシアの新聞各種に多少に関わらずほぼ毎日載っています。世界の大多数の国のメディアと同様に、マレ ーシアメディアが独自に取材しているわけではありません。つまり世界の有名外報通信社の配信記事をそれぞれ載せて(翻訳を含めて)い るわけです。華語新聞の中には、台湾の新聞の該当記事を引用している場合もあります。

ですから日本のマスコミが伝える記事やニュースと多少またはかなり違った調子になることは避けられません。先日のゲストブックに書き ましたように、外報通信社は日本国民の感情を考慮する必要はないし、日本のマスコミから得た情報に彼ら独自の取材を加えて、彼ら(外 報通信社)の観点からニュース記事を書いて配信するわけです。このことを日本に住み日本のマスコミだけに接している大多数の日本人の 方々に強調しておきます。世界に配信される記事内容は、必ずしも日本国内で接する日本のマスコミの論調と同じではないし、決して日本 のマスコミ並にきめ細かに報道されることはない、ということです。

その記事内容が事実と異なっている、間違ってはいないということはまた別の問題です。そして仮に間違っている場合でも、その間違いを 各国の読者が納得できるように正すことはほとんど不可能に近いといえます。なぜなら日本のマスコミ記事を常にそのまま載せるような世 界各国のマスコミは稀有だからです。もちろんインターネット上での報道もしかりです。

こういったことは何も今回の原発危機のケースに限りません、例えば2004年のスマトラ沖巨大地震の際、タイやインドネシアなどで起きた いくつかの”テロ”や”暴動”の際でも、それぞれの国の実状況と外報通信社が世界に配信するニュース記事内容から得る印象との間には かなりの違いがあります。ある国で起きた大事件や大災害に関してその実情や国民感情は他国へは正確に伝わらないということは、ほとん ど公理だといえるでしょう。

以上のことを前提に次の一文をお読みください。

東京電力が放射能に高度に汚染された冷却水を多量に海に排出したという記事がこの数日載っています。多量の排出によって放射性物質が どれくらい拡散していくのか、放射線濃度が薄まったとはいえ海水と魚貝類にどれほどの影響を将来及ばすかについて専門家の間でも食い 違いがあるようですね。 そういった論議は科学者にまかせておくとして、日本以外の国々の一般市民の立場でこの事実を捉えれば、日本 は原発危機の中で高度の放射能に汚染された水を多量に海洋に捨てたということです。韓国と中国がこの排出行為に抗議と不満を表明した と報道されていることに、ほとんどの人は納得するでしょう(放射能汚染は非常に薄まるから大して問題ではないという説明または詭弁は 説得力を持たない。一般市民は専門知識を備えた科学者ではない)。

日本が営々と築いてきたはずの、日本は環境問題に敏感でありエコな生活スタイルを評価するという、他国民からの漠然とした捉え方・見 方は相当程度崩れ去ってしまうことになりそうです。化学的事実であろうなかろうと、放射能は最も危険な物質であると認識されています 。その放射能を多量に海に排出する行為は、危機回避の切羽詰った手段とはいえ、他国人の目には”危ない・汚い物は海に捨てる”という ことに映ることでしょう。

イントラアジアが日本を離れる前に、新聞やラジオで、多量に溜まった放射能汚染水を除去する手段として、タンカーに注水して永久収納 するという手段があることが伝えられていました。そのタンカーはもう二度と使えなくなるが実行意思さえあれば技術的には可能だとも聞 きました。なぜ、この案が取られなかったのだろう?
東北地方の漁業にこれ以上の打撃を与えないためにも、世界の海洋に今後長年与えることになる放射能汚染物質の拡散と沈積の問題回避の ためにも、環境に敏感でエコを大切にする国という捉え方を守るためにも、政界と経済界は万難を排してこの方策をとるべきであった。

放射能に汚染された冷却水をこれほど多量に海に捨てたことは、多いに遺憾なことと言えるのではないでしょうか。これは、この1週間日 本のマスコミにまったく接していないイントラアジアがマレーシアマスコミから得た情報を基にした思いです。
 

クアラルンプールから一報

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 4月 7日(木)15時11分36秒
返信・引用
  じつに久しぶりにクアラルンプールの我がアパートに戻りました。床のみならずあらゆる所に積もった埃などのために丸1日半を掃除に費やしました(笑)。

インターネット契約はすでに切れており、アパートからネット接続できない状況です。新たに別の接続プロバイダと契約を結ぶには費用がかかるので、苦しい現状では無理です。ということで、我がノートPCを友人のオフィスに持ち込んでLANポートを利用させてもらうことで、今ネット接続しています。当分この方法しか手はないので、残念ながらせいぜい週2,3回しかネット接続できないでしょう。

ところで、3日夜のエアアジアX便の搭乗の際、目立つ黄色のベストを着たマレーシアのボランティア援助団体のメンバーがたくさんいました。ほとんど全員が男性だと判断しました。ごく短く話を聞いたところでは、この団体はこれまで世界各地の被災地へ行っているとのことで、今回は50人ほどが日本を訪れて、仙台へ行ったとのことです。日本滞在は6日間だったとこのことで、その全員がこの3日夜のフライトでマレーシアに帰るところでした。彼らの少なからずが羽田空港や機内で陽気に騒いだり土産物を買っているのを目にすると、文化の違いをここでも感じますね。

 

マレーシアに帰るお知らせ

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 4月 3日(日)13時17分15秒
返信・引用
  すでにお知らせいたしましたように、イントラアジアは今晩のフライトでマレーシアに帰ります。かくも長きにわたってマレーシアを含めた東南アジアを留守にしたのは、1980年代後半以来ですので、数ヶ月模索した後とにかく出発にこぎつけられてほっとしています。

ちょっと心配なクアラルンプールの我がアパートは、とっくにインターネット接続契約が切られているので、ネット接続ができない状況になります。ただ固定電話はネットバンキングで基本料を払っていたため接続しているので、暫定的にダイアルップが使えればいいのですが。

大震災の被災地復興と福島原発危機が気になるところです。しばらく日本国外から外国メディアを通して情報とニュースを追ってみようと思います。

まことに残念ながら我が経済的事情からマレーシアに長居できないので、また日本に戻りますが、KLのアパートにいる間、なんとかネット接続できてホームページやブログを更新したいものです。

開花した桜を何年かぶりに目にしました。

イントラアジア
 

誰もが忘れるはずのない3月が終わって

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 3月31日(木)19時30分59秒
返信・引用
  ほとんどの日本人にとって決して忘れることができない、忘れるはずのない2011年3月でしたね。イントラアジアは長年小さな地震でさえ体験しなかったとことろへ、東京でいきなり震度5という強い揺れに慌てました。

そして月末の今日に至るまで、この巨大地震と巨大津波のもたらした被害の甚大さと多くの被災者の困難な状況を伝える報道に接するたびに、読む目と聴く耳が鈍ります。さらに人災と呼ぶべき現在進行中の福島原発の危機が少し違った意味でこれに輪をかけます。

さてここでお知らせです。
イントラアジアはとりわけ今年になって、マレーシアへできるだけ早く戻ることを模索していました。当初3月初めに日本を発つつもりでしたが、AirAsia航空券が多少でも安い日にちを探していて結局4月初め発の切符を予約購入しました。

偶然1ヶ月ほど出発を遅らせたことによって、この大地震の体験と大震災被災者への憐憫(れんびん)の情を日本に住んでいらっしゃる皆さんと共有できることにつながりました。
家・財産を失った、家族・知人を失った、仕事・生活の糧を失った、そういう方たちになぐさめの言葉はそれほどふさわしいとは思わないけど、この言葉を伝えるしかないところがもどかしいところです。
 

原発事故を巡って責任を問うのは後でいい

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 3月27日(日)19時53分26秒
返信・引用
  福島原発の危機が依然として続いていることは、連日メディアが大きく報道していることから、誰だって知っていることですよね。

地震と津波及びその被害と違って、原発事故を自然がもたらした災害とみなしている人はごくごくわずかのはずです。それは原発が人工的創造物であり且つ政治的経済的な強い意向の下で建設運営されているからです。

ここで原発反対論、または日本の現今の電力事情からそれでも原発は必要だという原発賛成論を述べるつもりではありません。

日本で稼動している原発は現在50数基あるそうですね。最初に建設されてすでに30年以上経っていますよね(年数に多少記憶違いがあるかもしれませんが、そのことは大して重要ではない)。幾多の反対運動や反対世論を抑えて原発を建設し、稼動させてきたのは、原発は安全だと主張し、不安を抱く者を説得してきた人たちの成果だといえます。

あらゆる政治的判断に賛否両論はつきものですから、推進してきた側、賛成してきた側の人たちと勢力の存在自体には納得できます。彼らには彼らの論理があり、安全論を信じたからこそ建設と稼動を推進してきたといえます。ですからイントラアジアはそのこと自体を批判はしません。

さて物事の判断と実施にはそれを決定する権力を持った人、つまり決定権を持っていた人たちがいます。具体的には少なからずの政治家と高級官僚ですね。さらに決定権者にその決定をさせる根拠を与えたたり、後押しした人たちもいます。原発に関して言えば、原子力発電推進派の学者や専門家、及び経済的利益を追求する企業経営陣と株主です。

原子力発電は事故が起こっても大きな危機にはならない、放射能が多量に漏れるようなことにはならない、と推進派の学者と専門家は主張しそれを繰り返してきたことをイントラアジアは覚えています。推進派の政治家と高級官僚と企業の経営陣は原子力自体の専門家ではないので、学者と専門家の主張を信じまたはどんな意図であれ結果としてその主張を利用してきました。

以上は論争することではなく、事実です。

そして3月11日の巨大地震と巨大津波で福島原発に事故が起こり、まもなく危機的状況に陥った。月のゲストブックに書いたように、事故の直後から西欧の有名メディアはすでにメルトダウンの危険性をはっきりと書いていた。

西欧メディアの主張は日本人向けでない以上、なんら日本人の感情を考慮する必要はない。日本のメディアは当然ながら日本人の感情を多い少ないに関わらず考慮しなければならない。

事故発生からすでに2週間以上経った。原子炉の危機状態は多くの現場作業者の生命をかけた活躍にも関わらず依然としてこう着状態であり、とても安心できる状態になっていないことは周知のことです。放射能被害は少しづつ広がりつつあり、それがデマとパニックを呼びかねないのは多くの人が認識している。少なからずの外国はすでに過剰に反応していることがニュースに載っている。

さてこの状況に陥ったことに関して誰が責められべきか。もちろんまず、推進派の政治家と高級官僚と企業の経営陣と推進派の学者と専門家ですよね。しかしこの緊急時にその人たちに責任を取って陳謝しろとか辞任しろと言いたいのではない。彼らは彼らの信条によって行動したのであり、それ自体は問うまい。
イントラアジア の言いたいことは次の点です。

彼らは自らの信条に従って推進した以上、その信条に従って「安全」を保障する行動を身をもってすべきである、ということです。具体的には原発から10km圏なり20km圏なりの地に行って、そこで原発事故に立ち向かっている行動を応援し見守るべきです。日本の原発は安全であり、万一放射能が漏れても人体に害になるようなことは起こらないと、主張した学者や専門家は最後までその信条に従って行動すべきです。そしてそれを信じた、利用した政治家、官僚、企業経営陣も同様です。

福島原発から何百キロも離れた安全な場所にいて、口を閉ざしたり、いまだに屁理屈を語っている、学者と専門家、及び政治家、官僚、企業経営陣を、我々は見逃してはいけない。日本のマスコミよ、NGOよ、この種の学者と専門家、及び政治家、官僚、企業経営陣の実名をあげて公表してくれないか。自らの信条によって原発を推進した人たちは、その信条に従って行動する同義的責任がある、そして直ちに行動すべきである。

責任を問う論議は危機が収まってからでいいのだ。
 

この大震災での原発危機と外国・外国人の対応を考える

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 3月20日(日)20時18分24秒
返信・引用
  11日金曜日の午後から今日までの10日間は誰にとっても怒涛の日々でしたね。その怒涛はもちろんまだ終焉していない、それどころか津波による壊滅に続く第2の壊滅シナリオさえささやかれている。

このささやきは海外でははっきり聞き取れる声となっているようだ。地震後2日目に海外のニュースサイト、外国通信社サイトにそれが現れていることに気がついたので、イントラアジアは喫茶ツイッターで次のようにつぶやきました。

「ネットで世界の有名通信社、米国メディア、オーストラリアメディアが発信しているニュースを使った動画がたくさん流れている。映像自体は日本のメディアのものだが、コメントや解説はそれぞれ彼らの視点で伝えている。福島原発の事故に関しては、はっきりメルトダウンの可能性に早々と触れていますよ。」
以上

世界の有名通信社や米国メディア、オーストラリアメディアにとって、日本の大震災は所詮他国でのできごとである以上、言いたいことは遠慮なく言えるし、国民の心情を思いやる意識は低い。これに反発を感じようと、同感しようと、彼らがこのように報道し発言している事実にかわりはない。

ある国である大災害が起こると、世界のマスコミを牛耳る西欧メディアは被害を徹底的に報道する。現在はインターネットと携帯電話の時代、その伝わり方の速さと広範さは20年前と比べものにならない。 こういった報道を受ける側つまり見る側は、ごくあたりまえのこととして過剰に反応する。(もちろん大きな同情や援助行動があることは知っています)

2004年のスマトラ沖大地震の時、日本と日本人を含めて多くの国々とその国民が、津波被災地はその国の一部にすぎないにも関わらず、インドネシアやタイへの渡航自粛勧告、一時脱出・避難、旅行取りやめなどを行った。イントラアジアはこの種の過剰反応をにがにがしく思って、少し発言したことを覚えています。

所詮他国からみれば、被害国の本当の状況や国民感情はわからないものであり、人間の本能ともいえる心配心主導行動に至るということでしょう。それを煽り、助長するのが世界のメジャーなマスコミであり、加えてインターネットや携帯で多量に流れる映像だと思います。

この大震災で、日本から脱出する外国人が続出していると報道されている。本社機能を一時大阪に移す外資の企業もあるとか。さらにルフトハンザに代表されるいくつかの航空会社は東京へのフライトを大阪に迂回させるなどとも伝えられている。これらの報道が100%正しい、正しくないということを論じるのではなく、その背景と根元にある彼らの思考をみようではないか。

これは津波被害と放射能汚染という違いはあっても、スマトラ沖大地震による震災とこの三陸沖大地震による震災に共通の思考と行動だと言えます。所詮他国からみれば、被害国の本当の状況や国民感情はわからないものなのです。日本人も例外ではない。

しかし他国人がなんと思うと、どんな行動をしようとあまり重要視しない、国民にだけ通じる思考を基調にして対応しているのは、これまた愚の骨頂とも感じます。原発危機の対応と情報発表のあり方に不満を感じる日本人は決して少なくないはずです。イントラアジアもその1人です。

ある国である大災害が起これば、他国と他国民は過剰に反応する、これは経験則でわかっていることです。日本から今輸出されている品に対して放射能検査する国がもう現れているといったことなどその典型ですね。政府はこういうことも念頭において、国外に向けて説得力あるメッセージも積極的に発していくべきです。

原発事故が起こればまず国民に、次いで影響を受けるかもしれない国々の間に疑心難儀が生まれるのは当然であり、それを批判すること自体間違っている。だからこそ自国民に隠しだてしないのは最低限のことです。それが結果として、外国への積極的なメッセージの基盤にもなる。

メルトダウンという可能性につい最近まで触れようとしなかった東電と政府のあり方は、残念ながら疑心難儀を増幅してしまったかのようです。事故対応に手を抜いているなどと誰も思ってないだろうし、命がけで現場作業している人たちには頭が下がります。国や企業のトップは、その権力に見合った批判を受けるのです。結果よければ全て良し、などということは原発事故にはありえない。
 

北アフリカのアラブ国のニュースに接し、昔を回顧しつつイスラム圏内での違いの大きさを思う

 投稿者:Intraasia  投稿日:2011年 3月 5日(土)08時56分12秒
返信・引用
  日本及び日本人とはかなり縁の薄い北アフリカでのニュースが続いています。ただエジプトでの大統領追放劇は一般日本人にも興味を起こさせたようですね。もっともそれは、エジプトにピラミッドがあるゆえに日本人にもエジプトという国の存在がよく知られているからだと思います。

チュニジアとなれば、専門家などごく少数の人を除いて、まずほとんどの人は国情はもちろん位置さえも知らないでしょうし、単なる外報ニュースで終わったことでしょう。内戦進行中のリビアも似たようなものでしょうが、奇行で知られる独裁者のためか、日本ではチュニジアよりはニュース度が上がっているみたいですね。

いずれにしろ一握りの人物による独裁と権力者一族及び取り巻き連中による汚職が北アフリカの政治と経済を特徴付けるもののようですが、その内容を論じるほどの知識をイントラアジアはもっていません。

北アフリカに詳しいわけでも、取り立てて大きな興味を持つわけではないイントラアジアですが、1月29日のゲストブックに書きましたように、個人的にちょっとした縁があったことから、さらに当サイトの訪問者の中でも北アフリカとなると旅行された方はずっと少ないことでしょうから、雑談読み物としてまた書いておきます。


イントラアジアにとって2回目の北アフリカ訪問は1990年でした。パリからチュニジアに着いて国内を少し旅した後、次の旅行地としてリビアとアルジェリアを考えました。漠然と行きたいと思っていただけで、両国に関する十分な予備知識はありませんでした(ガイドブック類は全然とはいいませんがあまり使いません、インターネットはまだ大衆には”使えない”時代です)。

ただどちらの国も入国が難しいだろうことはわかっていました、とりわけ陸路で入国するため、難度はさらに高いことは予測がつきました。首都チュニスで、苦労してリビア大使館を探し出し(簡単ではありませんよ)、訪れました。大使館で突きつけられた条件は個人自由旅行者には不可能なものばかりであり、リビア入国をあっさりとあきらめました。リビアは聞きしに勝る入国難度の高い国でした。
(現在のリビア内戦のため、外国人労働者として働くインドネシア人やフィリピン人が脱出を目指して国境にたどり着いているという記事を読むと、彼らのたいへんさにまこと同情の気持ちがわきます。)

そこで次はアルジェリア大使館を探し出しました。こちらは面倒な条件を提示されましたが、個人旅行者でもなんとか入国できそうな条件です。そこでチュニスの日本大使館を探し出して、日本人旅行者であることの証明みたいな一筆を書いてもらい(確かアラビア語文という要求でした)、それを持って再度アルジェリア大使館へ行ったのです。日本国パスポートだけでは不十分だという理由付けです。この種の要求に対して質問してもらちはあきませんから、とにかく言われた条件を満たすしかありません。

初めて滞在したチュニスの町で複数の大使館間を探し出し何回も行き来したので、かなり手間暇がかかったことを覚えています。フランス語がかなり通じるチュニジアとはいえ、基本はアラビア語の国ですから、何事にも困難がつきまといます。イントラアジア (Intraasia)のフランス語力は70年代末頃が最もあったので、90年初期ごろにはかなり落ちており、チュニジアといえどかなり言語面で苦労したと記憶しています。でもその困難さは次に入国したアルジェリアで頂点に達しました。

アルジェリアは1991年にイスラム組織が選挙で大勝しましたが、イスラム勢力の伸張と影響力を嫌ったアルジェリア軍部に非合法化されました。そのために90年代前半から後半にかけて国内がいわば内乱状態に陥ったと報道されていました。イントラアジア (Intraasia)の入国時期は幸運にもこの混乱期の直前だったと後年わかったのです(アルジェリアは混乱期に外国人の入国を禁じていた)。

アルジェリアの旅は、イントラアジアの長い旅歴の中でも3本指に入る困難な旅でした。それまでにすでに15年ほどの世界旅歴を持っていたのですが、言語コミュニケーション、交通手段、宿泊、社会事情と慣習、飲食などもうあらゆることに困難のつきまとったアルジェリアの旅は、そういう意味で忘れられない旅の一つです。サハラ砂漠の真ん中ではなく淵(ふち)を旅しただけですが、それでも砂漠のすごさは掛け値なしに強烈です。あんなところにも人が住んでいるなんてと、我が目で見て驚きました。

2007年に載せた今週のマレーシア 第514回の中で、エピソードとして書いた部分を再録しておきます。
「とりわけアルジェリアからチュニジアへの国境超えは、私の旅人生で最も記憶に残る国境超えです。なぜか、それはミッシェラン地図に目立たなく載っていたサハラ砂漠の端に位置するごく小さな国境検問所であり、そこに到達して確認するまで、日本人が出国できるかの自信はなかったのです (当時は情報あふれる 21世紀の現在から想像もできない情報寡少の時代です、しかしそれを克服して旅するのが旅人の誇りとするところでした)。その両国の検問所間となる国境地帯を歩いて渡ろうとして途中であきらめたからです。
アルジェリア検問所係官がこともなげにフランス語で、「チュニジア検問所までは数キロ」 といった言葉を信じて、砂漠の中を自動車の轍(わだち)に沿って歩き出した私は、灼熱の太陽と焼けつく砂のために、文字通り焼け焦げるのではないかという状態になりました。アルジェリア検問所が振り返ると小さく見えるぐらいまで歩いた私は、死に物狂いでアルジェリア検問所まで戻ったのです、そのまま歩いたら間違いなく倒れて干からびて死んでいたことでしょう。砂漠の厳しさは筆舌にし難いというのは、まさに本当です。1.5リトルのミネラルボトルなど20分でなくなります、帽子をかぶっていても照り返しの熱で身体は焼けます。徒歩をあきらめた私はそこで長い間待って、国境を越える民間自動車をヒッチハイクしてチュニジア側検問所まで到達しました。たかが数キロであれ、砂漠の数キロは通常の道の数百キロに値することを身を持って体験したのです。」
以上


東南アジアのイスラム国であるインドネシア、マレーシアを80年代にすでにかなり旅経験していたのですが、北アフリカのイスラム国はその経験があまり適用できないほど違います。北アフリカのアラブ国と東南アジアのイスラム国の間には、イスラム教という共通面がありますが、民族性と行動様式と慣習と社会基盤があまりにも違う、加えてアラビア語の壁が立ちはだかります。それ以前にイントラアジアは数ヶ月程度アラビア語をかじったことがありましたが、文字認識ができる程度で会話などほとんどできません。多少頼みの綱にしていたフランス語も地方では通じる程度がぐっと落ち、且つアラビア語なまりで聞き取れない、こういうコミュニケーションの困難はアルジェリアの旅中ついて回りました。
現在、世界のニュースになっているアラブ圏のいくつかの国で起きている政情不安問題を、イスラムという単語で東南アジアのイスラム圏までをくくってしまうことは大きな間違いだと主張しておきます。

日本もその一部である西欧マスコミが何かの期待を込めて報道している、一部のアラブ諸国で進行している民主化要求運動と内乱は、(西欧とアラブ諸国にとって)かなり同床異夢ではないかとイントラアジアには思えます。イスラム教という普遍的な結びつきがあっても、世界のイスラム諸国の間には越えがたい違いもまたあるというのが、イントラアジアの体験的観察から得た見方です。
 

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